たまには、いつもと違うブログ発信?
私は、<田端義雄>さんに憧れています。
木工を始めた頃に、田端さんが書いた、この文面に出逢いました。
『木工家としての私の腕や技術は二流だ、多分今でも・・・・・・
しかし、家具作りの情熱がある、モーザー・デザインのチェリーの家具への信仰のようなものがある、
本物の家具への祈りある。
木工家のはしくれゆえ、人様のために椅子やテーブルを作る事もある。自分の美的センスや才能を
発揮する良いチャンスだし、友人や知り合いのために作るのは、木工家の歓びでもある。
家具作りは孤独な仕事だ、一ヵ月以上もかかるキャビネット作りは、高山の頂きを目指す登山のようだ。 もっと遠くまで、もっと巧みに、もっと美しい家具を、孤独を友として木工家は木工に集中し続ける、
ウッド・ワーキング(木工)は孤独への献身でもある。
木工は、木工家に忍耐を強いる。桜の原木を買ってそれを板にして、庭に積み上げて自然乾燥させる。
その桜の板が加工できるようになるまで、3年は待たなければならない、木は自然そのものだ。
自然の時間はゆったりしている、すべてを忘れ、君を忘れ、木工室に一人いることの、この安心感や
幸せはそこから来る。木工室は30畳(15坪)の広さ、マシンルームと組み立て部屋の2部屋からなっている 木工術は、木工部屋の進化発展と運命を共にする、どんなに小さなワークショップでも、
それは工場なのである。工場は労働力と生産の場である。
木工室は整理整頓されていて、明るく清潔でなければならない。木工術は危険を伴う仕事でもある。
ワークショップのレイアウトは重要だ。工場にも美しいオフィスが必要だ。
木工家は、道具好きが木工家になる、その道具を使いこなして、自分の手と頭で家具を作りあげる。
木工工場の美徳はコンテンポラリーなマシン類と、前世紀的な手道具が混然一体となってそこにあるのだ パワーツールだけでは家具は作れない、昔ながらのノミやカンナが必要だ。
そして、日本の伝統的な木工具や刃物は素晴らしい、日本の木工手道具は木を多く使っていることだ。
働け、弱きになるな、もっと素敵な、もっと美しい家具を作れ、歓びは忍耐の後に訪れる、
ついに仕上がった家具をうっとりした気持ちでみつめる、誇らしげな笑顔がある。
植物オイルが塗られ、ワックスで磨かれピカピカに光っている。
家具は私たちに最も身近な “木のファンクショナル・アート(実用的な芸術)”であればと思っている。』
(田渕義雄 “森暮らしの家”より)
自分が孤独に負けそうになった時などは、力を与えてくれる文面です。
プロフィール
田渕 義雄
1944年東京生まれ。作家。1982年、八ヶ岳に程近い金峰山北麓の山里に居を移し、作家活動を続ける。 自給自足的田園生活を実践して孤立無援をおそれず、自分らしく生きたいと願う人々に幅広い支持を得ている。また園芸家、薪ストーブ研究家、家具製作者でもある。
2018年11月27日
11月27日
posted by alku at 17:15| Comment(4)
| 日記
憧れの人の名前間違えました。
(田端義雄)を(田渕義雄)に訂正して下さい。
私の好きな文面です。
コメントありがとうございます。嬉しいです。
先日はこちらこそ楽しい時間をありがとうございました。また、来年ご一緒に山に行けることを楽しみにしています。また、時間があればコメントください。自分の中では<ジェントルマン・kashi>さんですよ